このブログでも幾度となく書いてきた、東日本大震災の被災地、岩手県大槌町に行ってきました。
太平洋に面する三陸海岸、釜石市の少し北に位置する、人口15,000人の、漁業と観光が基幹産業の小さな町です。
町全体で1,600人もの方が死亡又は行方不明、4,000人の方が避難所生活、という惨状です。
そこの町役場に従兄弟は勤務していました。
役場では町長はじめ職員136人中30数名の方が死亡又は行方不明・・・
従兄弟はその時役場にはいませんでした。
別の場所で仕事をしている奥さんからの電話で、海沿いに建つ自宅へ、学校から戻った娘を避難させるために戻ったそうです。
車で自宅に戻った彼は、裏の高台にある知合いの家に娘を託し、自分は何故か徒歩で海沿いの道を役場に向かい戻って行ったようです。その途中、大津波に遭遇・・
そのまま娘と避難してれば助かったのに、どうして?・・
推測ですが、本人は、
<あの揺れだから津波は来るだろう。
<戻ってくる途中、多くの人たちが道路や家の周りでたむろしていた。
<役場の人間として、避難の声掛けをしながら戻ろう。
<車は別の避難者たちで渋滞するだろうから。
・・・で、海から50Mと離れていない全く平坦な道を歩いている途中・・・だったようです。
まさかあんな大きな津波が来るとは思わず、に。
津波に関しては、僕らの比ではない危機感、緊張感を持っていた地元の方でさえ今回の規模は全くの想定外だったようです。
その従兄弟はそうした経緯で行方不明。
もうひとりの従姉妹は、地震直後高台にある自宅に戻る途中、海に向かう幹線道路を車で走っていて、あと交差点2つ目を曲がれば家、と言うところで、前(海側)から家と瓦礫を巻き込んだ10m近い真っ黒な壁がこちらに向かってくるのが見えたため、急遽普段使わない獣道のような狭い道路にはいりこんで自宅に戻り、間一髪無事でした。
紙一重の運命。
自然の脅威には人間は太刀打ちできません。
その行方不明のままの従兄弟、家族が区切りをつける、という決断をしました。
同じように被災された、お寺さんの仮設プレファブ本堂で葬儀がありました。
姿の見えないままの葬儀、家族にとっては苦渋の決断です。
そんな気持ちに応えるような、丁寧な、心のこもった法要をしていただきました。
街全体、心理的にも物理的にも喪中と言っても過言ではない状況を目の当りにして、
まさに五感で感じなければわからないことがたくさんありました。
その一端、ほんの少しでもこの場で伝えたいと思っています。
親戚というだけで、よそ者の僕が伝えられることなどたかが知れているかもしれません。
それでも、です。
被災地で感じたこと、大きな2つ。
*.人たちは程度の差こそあれ、個人レベルでは前向きになられている感じを受けました。
生きていかなきゃならないから。
個人々々は強いです。
*.深刻なのは、津波で破壊された街。個人レベルではいかんともし難い惨状です。
今こそ政治の出番だと本当に強く感じました。今こそ強力なリーダーシップを発揮して欲しい!
今の政治は弱過ぎます
思い切り大衆的な一般的な意見ですが、
やはり政治家の方たちはまず現地の状況をしっかり見て、地元の人たちと同じ立場に立って充分に話す、これに尽きるんじゃないでしょうか?
こんな簡単なことができない日本の政治家には、"怒り"よりも言葉は変ですが、"恐怖"すら感じます。
国会議事堂内では見えないことがたくさんあります。
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次回は写真を交えてののレポート